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猫電車日記 別冊

2005-01-12震災の記憶@g:train

六甲道  2005.1.11

 昨日プロジェクトX六甲道の復旧工事の様子やってました。見たんですが風呂入ったりしているうちに、くたびれて寝てしまいました。あの時はみんな苦労しましたね。阪神・淡路大震災から10年経つんですが、忘れてしまったこともあるし、もう10年経つともっと忘れる気がするので、私の中の震災の記憶を鉄道がらみで思いつくまま書いておくことにします。客観的な事実というのは、どこかにきちんと残っているでしょうから、あくまで「私の中の」ということです。当時の写真とかは全然ないです。とても撮る気がしなかったから。

 当時も今も、私は神戸から大阪通勤しています。今なら三宮から大阪まで新快速で19分、当たり前と言えば当たり前なんですが。

 震災から1週間後、三宮から代行バスが出るというので、大阪まで出てみることにしました。そのとき鉄道の運転区間は西は姫路方面から須磨まで、東は甲子園口から大阪方面でした。午前5時に家を出て、三宮にたどり着いたのは午前8時前、代行バス道路の通行不能と渋滞で迂回を重ねて、これが甲子園口に着くまで2時間半、会社に着いたのは午前11時過ぎだったと思います。当初の代行バスはちょっと離れたところバス会社が来ていました。水間鉄道とか近江鉄道とか。後になるとJRグループのバスになって、九州の赤いバスがたくさん走るようになります。

 とにかくこれでは通勤にならないと出直すことにして、翌日以降、週末だけ神戸に戻り、平日は会社のそばの寮に泊まるという生活になります。その間、一度だけ、神戸に帰るときに、阪神三宮から高速神戸まで電車が走っているというので、乗ったことがありました。地下に取り残された電車ですね。ちょうど阪神三宮で出発を待っている時に大きな余震があって、電車の台車のバネがギシギシ音を鳴らしたのを記憶しています。トンネル壊れたら電車は持ちこたえられるのかなぁとか妙に冷静なことを考えたりしました。三宮あたりはJRの高架も阪神トンネル昭和初期の古い構造物ですが、地震には強かったですね。崩れたのは六甲道駅とか大開駅とか、昭和40年代以降の比較的新しいもの。合理性を追求して造られたものは、想定外のことには対応できないという当たり前のことを知りました。

 神戸から大阪へ毎日通勤できるようになるのは、JRの不通区間が住吉間となり、阪急王子公園~岡本間との乗り継ぎで移動できるようになってからですが、ちょっと長くなってきたので、これから後のことはまた別の日に書きます。

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