甦れ!!183系~さざなみ~ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005-12-10ありがとう183系~きみの雄姿は忘れない~ このエントリーを含むブックマーク

biwahoushi20051210

マリ7編成のモハ189-13の7A窓側に荷物を置いてホームに出る。写真はあまり撮らずに席に戻る。特急しおさい9号」銚子行きは東京を定刻の15:40に発車してお馴染みの鉄道唱歌チャイムで優等列車らしい長々とした放送がながれる。総武線の各駅はどこもカメラの放列を受けた。さっきまでいた市川橋梁で上りの「しおさい12号」とすれ違う。稲毛を発車してスピードが出てきた緩行線を牛蒡抜きにして千葉駅7番線に滑り込む。ホーム先端は写真に残す人々であふれてた。四街道駅の改札付近でこちらに手を振ってる親子がいた。どうか183系と言う電車があったと言うことを忘れないでほしい。成東千葉行きの各駅停車と交換し東金線とも別れを告げ銚子を目指す。八日市場で上り183系と交換シーンを撮影しようとしたがヘッドライトは消されてた。 干潟で千葉行きの各駅停車と交換で特急なのに連続停車。旭を発車して鉄道唱歌チャイムがながれて終点の銚子に到着。切符記念に欲しいので無効印を押してもらい出場する。暗いし寒いし初めての土地なので駅前のロータリーを軽く一周して駅に戻る。その前に跨線橋183系写真を撮影しといた。往復乗車券なので券売機で特急券のみを購入して入場する。ホームを歩いてたら明日の運用に備えて255系が回送されてきたので隣のホームに行き撮影してたら眼レフの電池がなくなり急遽デジカメで撮影してしおさい16号に乗る。これで銚子を発車する上りの183系しおさいは最後なのかぁと思ってると同じく明日の運用に備えてE257-500が回送されてきた。発車5分前になり運転士さんが発車の準備に取り掛かる。思わず国鉄職員で183系を運転してた祖父の写真を持って乗務員室をノックした。

biwahoushi>「お仕事中に大変申し訳ないのですが、国鉄職員で183系を運転してた亡き祖父を一緒に乗務させてもらえないでしょうか」

ウテシ>「ちょっとだけ待ってもらえる?発車の準備だけ済ますからさぁ」

biwahoushi>「すみません・・・」

(ATSの電源を入れたりする音がして)

ウテシ>「はいはいお待たせ~でっ、(亡き祖父の写真を持って)これを運転室に置けばいいの?」

biwahoushi>「はい。無理言ってごめんなさい」

ウテシ>「次の飯岡ぐらいまでならいいよ!!どこに置けばいいの?」

biwahoushi>「ありがとうございます。運転の支障がない位置でお願い致します」

18:40定刻に特急しおさい16号」は大勢のファンに見送られ銚子を発車する。地元の人達も最後の上り「しおさい」を見送るべく手を振ってるので返事をする。お馴染みの鉄道唱歌チャイムで優等列車らしい長々とした放送がながれる。心のこもった放送に耳を傾け目をつむる。ふと目尻が熱くなったがまだ早いと我慢した。14分間で次の特急停車駅の飯岡に到着。乗務員室の前まで行って運転士さんから祖父の写真を返してもらう。

ウテシ>「時刻表のところにたてかけといたからね」

biwahoushi>「ありがとうございます。祖父も草葉の陰で喜んでると思います」

下車駅の千葉まで時間があるから行きの特急しおさい9号」の車内限定販売で購入しといた「さよなら183系一昔前御弁當(800円)」を食べる。焼魚・蒲鉾・玉子焼き・味噌ピーナッツ・海老フライ・昆布巻・あみ煮などの183系が登場した1970代の食材で作られており、懐かしいおばあちゃんの味がした。

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特急しおさい16号」は、旭・八日市場・横芝・成東八街佐倉と停車して千葉に到着する。どの駅もカメラを持った人がいて上り「しおさい」を写真に残していた。千葉では警備の駅員が出て安全の確保に努めていた。私も一枚だけ写真を撮り先ほどの運転士さんにお礼を言う。最終の銚子行き特急しおさい13号」まで時間があるのでローソン千葉二丁目店で飲み物を購入する。8番線に戻ると既にファンが大勢いた。私も乗降客の邪魔にならない位置でカメラを構えた。間もなく駅員による接近を促す放送がながれ東京方面から二つのヘッドライトが見え183系(マリ9編成)が入線してきた瞬間シャッターをきる音が鳴り響く。私は記念サボが目的だったので先頭車の撮影はそこそこにして中間車に移動して撮影する。車内は帰宅を急ぐ通勤客でいつもとかわらない時間がながれていた。やがて発車の時間を迎えて静かにドアが閉まり最終の銚子行き特急しおさい13号」はテールライトを残し千葉を後にした。その瞬間に18年間の思い出が走馬燈のように駆けめぐった。

東京に出掛けるときは必ずと言っていいほど183系さざなみのお世話になった。まだ私が幼児のときは座席の色が青色で鉄道唱歌ゼンマイ仕掛けのオルゴール音階が欠損してる車両もあった。255系が登場したあたりから183系オルゴールから無味乾燥な電子音になり0番台もLEDに改造されてしまい、小学生の私はおもしろい音*1がする255系の方が興味対象だった。平成12年の四月から中学生になり内房線沿いの中学校に通うことになった。入学祝いとして母から「鉄道ファン(2000-6)」を買ってもらい本格的に鉄道趣味とするようになり、その時の特集が「特急列車国鉄メーク2000」で183系の希少価値を知った。その時ちょうど祖父の13回忌があり親戚のおじさんやおばさんに祖父が国鉄運転士として活躍してたときの話を聞き183系を祖父に見立てるようになり、当時のことを色々と調べだした。中学校から線路は4Fの音楽室と3Fの理科室からしか見えず、また残念な事に中学校は館山~九重に位置し、113系255系しか走ってなかった。土・休日のみ運転の「新宿さざなみ」号は183系を使用してたので、自然183系が好きになってた。千倉行きの特急理科の授業が重なるのは一週間に一度で自然理科の時間が好きになり理科の成績は5段階評価で5だった。しかし、2000年12月2日ダイヤ改正特急運転区間が東京~館山に縮小されて中学校からは見れなくなってしまった。またサロ183もなくなり「新宿さざなみ」号も255系に変わりじわじわと183系が隅に追いやられてく気がした。中学二年の一年間はあっという間に経過して183系中間車がグレードアップ車に交換され、元あさまで使われてたモハ189・モハ188が組み込まれた。私が幼少の頃に軽井沢家族旅行したときに乗った189系あさま中間車を内房線で乗るとは思いもしなかったことだ。中学三年生にもなり高校も無事合格して4月からは東京にある学生寮に住むことになり183系に乗る機会は減ってしまった。

東京での寮生活は大変辛く、当時の私は183系で館山に帰りたいと思ったが金もなく183系は高嶺の存在だった。そんな私に君津から各駅停車となる特急「さざなみ」は学生の味方だった。高校生活にも慣れてきた秋に千葉県内の特急に新型車両を投入するという話を聞くようになり、「どうせ噂だろうなぁ」と考えてた。だが、数日後にJR東日本 千葉支社から公式発表があったのと同時にそれは183系の引退を示すことになり、私はその真実を受け止められなかった。今まで祖父が運転した183系さざなみの乗務員になることを夢にして勉学に励んでいたのに・・・明日からは何を目標にして生きていけばいいのかと自問する日々が続いた。家族には反対されたが二年に進級するのをきっかけにして自宅から遠距離通学することに決め学生寮を離れた。少しでも183系にふれときたかったのもあるが、空気の良い環境で自分の将来を考えたいと思ったからだ。二年生の夏にダイヤ改正の概要がわかってきて「さざなみ」「わかしお」から完全に撤退すると発表されたときは言葉が出ないくらい悲しんだが、「しおさい」「あやめ」に残るのがせめてもの救いだった。高校二年生はろくに勉強もせずに気が狂ったと思うくらい183系を撮りに内房線上総湊~竹岡の海が見える鉄橋や館山~九重の向日葵畑を訪れた。8月にはE257-500の展示会も行われて徐々に置き換えの準備が整いだした。そして183系さざなみの引退日2004年10月15日は館山行きの最終183系「さざなみ」に乗った。特に装飾はなくいつもの特急で「さざなみ」は走ってくれたので、明日もまた特急「さざなみ」として東京湾に沿って元気に内房線を走るのではないかと錯覚を起こすくらいの平凡ぶりだったが、東京駅での夥しい数のカメラを持った人々を見ると「ホントに今日で最後なんだなぁ」と実感した。終点の館山では母がホームで出迎えた。母は鉄道ヲタではないが、ちょうど183系デビューのころは小学生音楽部に所属していて、初日の一番列車鼓笛隊として「若い力」を演奏して出迎えたそうで深い思い入れがあるようだった。母だけではない、ちょうど183系と共に育ってたきた年代の人達が何人もいて183系との別れを告げたりしてた。いつもならば館山の電留線に停泊して翌日の「さざなみ8号」になるのだが、その場所にはE257-500がいて183系の居場所はなくひっそりと幕張車両センター*2に回送されて行った。「さざなみ」「わかしお」から183系が引退してから二次元アニメを見始めるようになった。今まで毛嫌いしてたアニメを好きになったのは183系が引退したことへの現実逃避だったと最近気付いた。そんな堕落した生活のなか総武本線の「しおさい成田線の「あやめ」がE257-500に置き換わると千葉支社から発表があり、「これは自分の進路を早く決めて撮影しとかなければ」と考えるようになり大学AO受験して10月28日に合格の通知がきた。なんとか183系*3に嬉しい報告が出来てよかった。進路が決まってからは183系を撮ることに専念して下総中山本八幡で撮影したり、モノサク*4にも出掛けた。

12月になり総武線での撮影者が目立ち始めて刻一刻と12月9日が迫り来るなか、ちょうどテスト期間*5になったのを理由に東京千葉特急回数券を購入し毎朝183系に乗れる幸せを感じながら登校した。そして偶然にも12月9日期末試験最終日と183系の引退日が重なり午前中で下校でき、183系が引退する前に行っときたかった東京都千葉県の県境である江戸川に向かった。どうしても江戸川を渡る183系を撮影しときたかったのだ。他にも撮影しときたかった場所はいくらでも残ってるが今の私にできることは全てやれたと思うし、なにより今まで勝手を許してくれた家族感謝したい。

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*1VVVFインバータ

*2:旧;幕張電車区

*3:私は祖父の形見だと思ってる

*4物井佐倉

*5:お勉強をするということで